澎湖孔廟(文石書院)、魁星楼

観光スポット
文石書院は乾隆31年(1766年)に、地元の名士である貢生の許応元氏、張綿美氏、監生の蔡聯輝氏などの寄付のもと、澎湖庁通判の胡建偉氏により建設されました。「文石」は澎湖の特産であり、「石の鮮やかさは、鮮やかで美しい文章に通じる」という理由で、その名が付けられました。
 
文石書院は澎湖において重要な教育機関であり、澎湖唯一の進士である蔡廷蘭氏などの文学に造詣が深い文人を講師として招聘していました。
日本統治時代初期は野戦病院として使用されました。その後は孔子廟に改修し、文人や名士を管理者として招聘しました。第二次世界大戦末期、澎湖は米軍による空襲に見舞われました。当時の管理者であり漢学家の呉爾聡氏は多くの者とともに田舎へ避難することなく、澎湖孔子廟に留まり、近くの防空壕に避難していました。危険を避けるだけでなく、防空壕に「偷生窖」、「安楽窩」などの雅号を付けたり、自分の気持ちを表す詩を創作したりしていました。漢学家による孔子廟への愛惜、人生に対する度量を映し出しています。
すでに七十三という年まで生きてきたのなら、死と生の二文字はどのように感じるのか?
爆発により命が危うい状況でも、他の人々と穴を築くことができる。
生まれてもこの世の利益とはなっていないかもしれないが、人として歩み続けてきた。
目の前にいる賢き者は解脱を求めて争い、愚か者は成長することなく留まっている。
それと
山ある所でくつろぎ、音のない静かな谷で、煩わしい治乱には耳を塞ぎ、一日孤独に吟じてみよう、
鳴いて春を告げる小鳥が、美しい音を奏で、互いに知り合いであるかのように、伴奏とともに吟じてみよう、
別世界で、自らの場所を作り、雲のように浮かんで世間から離れ、繁華から逃れてみよう。
 
魁星楼は文石書院の創建時に建てられ、その後の道光9年(1829年)に巽向き(南東)に再建されました。1963年に澎湖孔子廟は改修されますが、魁星楼は元の姿を現在まで保つ唯一の建築物となり、また台湾で唯一書院が残る魁星楼となりました。建築物の平面は四角形であり、軒下の角にはアーチ型の開口部があります。書院内の建物のため、装飾は比較的簡素です。建物の保存状況は概ね良好であり、魁星楼のみが当時の姿を保っているため、歴史的建造物として指定されています。
 
データ出典:澎湖文石書院の始末及び基本精神、国家文化資産網、国立台湾歴史博物館

訪問情報:見学無料

  • 開放時間
  • 09:00~16:00(月曜・火曜定休)
近くのスポット TOURIST ATTRACTION