媽宮古城(順承門)

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馬公地区はかつて媽宮と呼ばれ、澎湖で最も早くに発展した集落であるほか、澎湖における軍事防衛の中心でした。清時代に発展が始まると、集落と商業貿易は繁栄し、一市七街を形成しました。清仏戦争後の媽宮の地勢は分散し、守るべき城がないことから、光緒13年(1887年)に防衛の中心として媽宮城を建造し、周囲には防衛のために砲台が設けられました。日本統治時代は都市開発の必要性に応じ、媽宮城の壁は二回取り壊されましたが、媽宮城の西側半分は依然として重要な軍事拠点でした。城壁は障壁として防衛の役割を果たすため、今でも破壊されずに残されています。
媽宮古城は清時代に建造された最後の海防都市のため、他の古城と比較すると歴史は長くありませんが、清仏戦争の影響を受け建造された城として、重要な戦いや集落の発展を何度も見てきた台湾を代表する海上防衛の地です。台湾本島にある清時代に建造された他の城と比較すると、軍事を最優先に建造されたという点は特殊であり、その戦略的な立ち位置と軍事的価値の重要性を伺い知ることができます。
媽宮古城には全部で六つの城門があり、北門は拱辰門、東門は朝陽門、南門は迎薰門,小南門は即敘門、小西門は順承門と呼ばれているほか、望楼が設けられていない大西門があります。城壁は澎湖の火成岩から作られ、その上にはサンゴ質石灰岩で作られた胸壁があります。また、表面を保護するために牡蠣殻灰が塗られており、監視や射撃のための穴が設けられている一般的な城壁の姫垣とは異なっています。現在、澎湖の媽宮城は国定古跡に指定されており、遺跡として残されているのは順承門、大西門(現在は澎湖防衛司令部外壁の中興門を兼ねており、構造は大幅に改修されています)の二つの城門と、西側にある城壁の一部です。また、順承門は媽宮古城の遺跡の中で唯一保存されている門楼建築物です。
 
【おすすめの滞在時間】 0.5時間

データ出典:2010年版 澎湖県文化資産ハンドブック、澎湖県国定史跡「媽宮旧城」調査研究および保存修復計画
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